●生きることの意味 2002/10/29
人間は究極の選択をする場合こうなると思う。
生きる か 死ぬ か。
人生は一度きりだ とかよく言うけどまさにその通りだろう。
生まれ変わりがあるとか 極楽浄土 とか 天国とか地獄とかそういう色々な話があるけど
それはあくまで宗教の世界だ。宗教は否定しないが宗教に興味のない自分にとってみれば
全く実感の沸かない話だ。

でも自分は時々、生きてるってなんだろう とか あんま生きててもつまらないとか
そういう究極のマイナス思考に陥る時がある。
たぶん同じ事考える人は一杯いるだろうし、頻繁に「生きててもつまらない」とか言ってる人もいるかもしれない。
この日記はマイナス思考に陥った時 そして生きる事に意味なんてあるのかなあ とか
そういう事を考えた時に読んで頑張ろう って自分に向けて書いた文章にしよう。。。

人間は死んだら一生生きる事は出来ない。生きるチャンスは1回だ。
たまに死んだ後の事を考える事がある。
予想では死んだらたぶん真っ暗な闇の世界になって何も見えない。動けない。
一生考えることも見る事も聞く事も話す事も誰かとコミュニケーションを取ることも
人を好きになる事だって出来なくなるんだろう。
その状態がきっと何億年も 何兆年も ずっとずっと続いていくんだろう。
そうじゃないとしたらまさに「自分そのものが消えてしまう」状態になるかもしれない。
死んだらそこで終わり。 ほんとに何もない。
真っ暗だとかそんな認識すらも出来ず消去 消えてしまうんじゃないか
そう考えたら不安だし夜も寝れなくなる。
授業中にしょっちゅう考えることもある。電車の中で考えることもある。
つまり死んだら何もかも全て終わり。
魂とか幽霊で生きていけるとしたら凄いかもしれないけど
その状態で何万年も過ごすなんて嫌だ。
つまり人間は生きる為に生まれてきて
生きている間が命が宿っている時で一番楽しいのだ。
平均寿命は80歳と言われても突発的に死んでしまう人もいたりする。
逆に100歳まで生きる長生きの人もいる。
人間は2秒に1人死んでいると聞いた事がある。
今平穏に暮らしてるこの瞬間にどこかで人がどんどん死んでいってる。
病死 不慮の事故 のほかにも 紛争 貧困 伝染病など様々な原因で
人間としての命がどんどん消えていってる。

そんな現状があるのにまだ「生きてても意味がない」とか言っていていいんだろうか。
生きてても意味が無いんじゃない
生きる事にしか意味は無いのだ。
毎日がつまらない 人生つまらない ではない。
自分自身がつまらなくしてるだけなのだ。
自分自身がつまらなくしてるのに他人とか環境とかの責任にして合理化してる。
合理化して自分をかばっているのだ。
逃げていても何も始まらない。逃げてたら何も変わらないんだ。
毎日つまらない 人生つまらない 生きてても疲れる なんて事は言ってはいけない。
つまらないなら自分が動けばいい 疲れるなら自分なりのリラックス方法を見つける。
なんとかして人は絶対に人生を楽しまないといけないのだ。
どんな壁があってもそれを乗り越えないといけないのだ。
生きたくても生きれない人は沢山いる。
人生を楽しまないで死んだ人だっている。
ならせめて生きてるうちに楽しまないと意味がない。
そうじゃないと死んでいった人たちに申し訳が無いし
自分自身にも悪い事をしてる気分だ。

それと「死ね」っていう事は絶対に言ってはいけないのだ と
中学校の時の英語の先生に教わった。
その先生はこんな話をしてくれた。

その先生は大学に落ちたので予備校に通う事になった。
予備校の入学式の時に知り合った友達がいた。
その友達はとても優しい人で、思いやりのある人だった。
ある日、その人は体調が悪いから病院にいった。
そしたらその人はとてつもなく重い病気だった。
家族にはあと2年の命と宣告された。
その人は病気なのに元気に過ごしていた。
スポーツもする 旅行もする そして一生懸命勉強もする
しかしそのうち病院に通う日々が多くなった。
やがて入院する事になってしまう。
予備校の授業もほとんど受けれず浪人してしまった。
それでもその人はその次の年に向けて必死で勉強をした。
その甲斐あってか病気の具合が多少よくなった。
あと2年の命と宣告されて1年ちょっとが過ぎた頃だ。
その友達と先生は北海道に旅行に行った。
楽しく過ごす2人。何泊もして長く北海道を旅行したそうだ。
そしてその途中 池でボートを漕いでいる時
その人の体調がいきなり悪くなってとても苦しそうな表情になっていった。
急いで東京に帰り、その人は医師の診断を受けた。
そしてまた入院する事になった。
このまま病院から外に出る事はなかった。。
体調が悪くなったその人に予備校生みんなで千羽鶴を折って病室に持っていったそうだ。
その人はとても喜んでいたそうだ。
そしてその年の11月。
先生がお見舞いに行くと変わり果てた姿になっていた。
呼吸器もついているしとても痩せ細って喋るのもつらそうな状況だ。
12月上旬。
お見舞いに行くともう喋れる状況ではなかった。
体の一部は麻痺しているようだ。
先生はあと少しの命しかないな と悟ったそうだ。
そして12月下旬
ついに友達は亡くなってしまった。
通夜で友達の家に行った時、みんなで折った千羽鶴が飾ってあった。
その友達は大切に大切に取っておいてくれたのだ。
そして友達の体はこの世から無くなってしまったのだ。。。

11月に先生が会いに行った時にその友達はこんな事を言った。
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「俺は体が動かない。病気もどんどん重くなっていってる。
外に出て思い切り遊びたいのに遊ぶ事だって出来ない。
たった1つの願い 生きるって事すらも出来ないのだ。
それにしても何で近頃の人はすぐ人に向かって「死ね」って言うんだろう
なんでそんな簡単に死ね なんて事が言えるんだよ
ここに一生懸命生きようとして頑張っても頑張っても生きる事が出来ない人だっているのに
ふざけんなよ
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上の言葉を聞いた時涙が出てきた。 そして自分自身にふざけるなと思った。
たった「死ね」っていう言葉にはすごい重要な意味が含まれている。
人間の究極の選択は生きるか死ぬかしか無いのに
その究極の選択を迫っている。しかも悪い方向の事に。。
確かにちょっとした悪ふざけで死ねって言うことはあるかもしれない。
お互いに冗談だと分かっているだろう。
でもそれでも言っちゃいけない。
死ねっていう言葉はそんな軽い言葉じゃないんだ。
もっと重くて意味がある。しかも人間が最も望まない事の意味が。

毎日がつまらないと思ったらこう思う事にする。
つまらないのは自分自身がそうしてるだけ。
だから自分が変えればいいんだ。
変えるのは自分自身かもしれないし友達かもしれないし世の中自体かもしれない。
でも変える為に努力すればいいんだ。努力すれば。。。
きっと頑張れば道が見えるだろう。
頑張ったって無駄だって思うのは屁理屈だ。
動かないなら動いたほうがずっとずっといいんだから。
だからもっと視野を広めて周りを見てみよう。もっと色々な事をしてみよう。
そうすればたぶん新しい事が見つかるかもしれない。
見つからなかったら今の毎日が自分にとって一番いいって事を証明する事になるんだろう。
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